中部の旅

静岡県

子生まれ石(相良町)
大興寺初代住職大徹(ダイテツ)和尚が亡くなった時、裏山の沢川より、まゆ形の石を運んで墓石とした。以来、住職の亡くなる前には崖から石が転げ落ち、この寺の住職の墓石にはこの石が使われている。石の形には真球だけでなく、そら豆形やひょうたん形があり、形も様々。科学的に見ると、”崖は砂岩でできているが、堆積していく過程で内部に石灰質の「核」」となるものを含んだため、周囲に砂がタマネギ状に練り固まったものが「子生まれ石」で、雨や風の浸食でまわりの柔らかい砂岩層だけが削り落とされてやがて、川岸に落ちる”という珍しい現象である。

御前崎灯台(御前崎市)
静岡県最南端の岬である御前崎は、駿河湾と遠州灘を二分して太平洋に突出した岬で、黒潮と駿河湾の瀬流がぶつかり合う上、多くの暗礁が散在しており、昔から海の難所とされていた。その為、徳川幕府が1635(寛永12)年に船の道しるべとして、行灯型の見尾美(ミオビ)灯明堂を建てたのが始め。現在の灯台は英国人のリチャード・ヘンリー・ブラントンの指導のもと1874(明治7)年に点灯を開始した。

夢の吊り橋(本川根町)
奥大井・寸又峡は大間ダム湖にかかる吊り橋で、大間川と寸又川の合流点にある。長さ90m、高さ8m。橋の真ん中で若い女性が恋の成熟を祈ると夢が叶うという。

旧天城トンネル(河津町)
明治38年、工期13年を費やして完成した石造りのトンネルで、現在の新天城トンネルが完成するまでは三島、沼津と下田を結ぶ主要な道路だった。全長446mで、石造りのトンネルとしては現存する中で一番長い。川端康成の小説「伊豆の踊り子」の舞台としても有名。国指定重要文化財
 
釜滝(河津町)
河津七滝の一つ。落差22m、幅2m。覆い被さるような玄武岩の上から流れ落ちる迫力満点の滝。七滝ではあちこちで、岩が柱状に規則正しい割れ方をしているのが見られる。これを節理と呼び、溶岩がゆっくりと流れながら冷えていくときにできたもの。その割れ方によって、方状・板状・柱状節理などがある。河津七滝は玄武岩の溶岩からできた柱状節理で、なかでもこの釜滝や大滝では、はっきりとその露頭が見られる。

エビ滝(河津町)
河津七滝の一つ。高さ5m、幅3m。滝の形がえびの尾ひれに似ている。つり橋の上から眺められる。

ヘビ滝(河津町)
河津七滝の一つ。高さ3m、幅2m。玄武岩の模様がへびのうろこに似ている。

初景滝(河津町)
河津七滝の一つ。高さ10m、幅7m。「踊り子と私」のブロンズ像が滝と調和する。

カニ滝(河津町)
河津七滝の一つ。高さ2m、幅1m。美しい渓流の中でひっそりと流れる美しい滝。河津七滝は、古い岩層の上に溶岩が流れ込み、その溶岩の流れの末端にできた段差によって形成されたもの。
  
出合い滝(河津町)
2つの川の合流地点にある滝で、この滝の先で合流する。高さ2m、幅2mある。河津では滝のことを「タル」と呼び、これは平安時代から続く貴重な民俗語で、水が垂れるという意味の「垂水」がそのルーツになる。発音の都合上「ダル」になる場合もある。

大滝(河津町)
河津7滝中最も大きな滝で、「おおだる」と呼ぶ。垂直に立ち上がる壁は玄武岩で形成されており、雄大な姿を見せる。高さ30m、幅7m。

河津七滝ループ橋(河津町)
国道144号線の七滝温泉への入り口にあるループ橋は、総延長1.1km、高さ45m、直径80mの巨大な二重ループ橋。地震による土砂崩れの教訓を生かして採用された工法によって生まれた東日本唯一のものとか。

浄蓮の滝(伊豆市)
高さ25m、幅7mの天城山中随一の名瀑。滝壺は深さ15mにも達し、天城山の寄生火山鉢窪山の噴火により流れ出した溶岩が作り出した滝。夏でも涼しい神秘的な滝の主は、女郎蜘蛛だという伝説がある。

ボンネットバス
昔走っていたボンネットバスを復活させ、修善寺−河津間を運航日限定で走る。車掌には、踊り子の衣装を着た女性が乗り込む。

土肥金山(伊豆市)
1370年代、足利幕府の金山奉行が金を掘り始め、1606年頃に新技術の投入もあり、隆盛期には佐渡の金山に次いで全国鉱山中二位の産出量を誇ったが、1965(昭和40)年には鉱量枯渇のため閉山。今は、観光用に坑道を整備して1972(昭和47)年から一般公開されている。坑道内では江戸時代の採掘風景が再現されており、いかに重労働だったかが伺われる。資料館では200kgの世界最大の金塊が展示されており、これも圧巻です。02年3月訪問。

柿田川公園(清水町)
富士山や御殿場地方に降った雨や雪は地下水となって地中を流れた後、この柿田川付近でわき水となって現れたもの。その規模は、この柿田川が最大だが、他にも三島市の菰池、小浜池、水泉園や清水町の丸池などがある。今では柿田川沿いに公園が整備され、遊歩道で巡ることができる。国道一号線に沿った公園とは思えない自然の豊かな公園。02年3月訪問。
山梨県

山中湖花の都公園
写真の花はフランスギク。(97年6月)

赤池(上九一色村)
国道139号線と358号線の交差点、精進湖の近くに雨などで精進湖が増水すると現れる池がある。それが「赤池」。昔、西湖と精進湖、本栖湖は一つの湖(せの海)だったが、噴火により流出した青木ヶ原溶岩流によって3つの湖に分けられた。今でもこの3つの湖は湖底でつながっているらしく、湖面の高さが同じらしい。そして、赤池も水が少ないときはただの窪地だが、増水するとどこからともなく、水で満たされ、神秘的な姿をあらわす。俗に富士六湖とも呼ばれる。

猿橋(大月町)
川面から31mの高さにあり、橋脚を立てられなかったことから、両岸から張り出した四層のはね木によって橋を支える珍しい構造になっている。猿橋が作られたのは、推古天皇の頃(600年頃)という伝説がある。現在の橋は1984(昭和59)年に架け替えられたもので、江戸時代の姿を再現している。全長31m、幅3.3mある。断崖の渓谷美も素晴らしい。「岩国の錦帯橋」、「木曽の桟(カケハシ)」と並び、日本三奇矯の一つに数えられる。02年7月訪問

山梨県立リニア見学センター(都留市)
センターの3階が展望室になっており、目の前のリニア実験線の走行試験を見学できる。また、リニアモータカーの試乗会も企画しており、運が良ければ試乗も出来る(事前申込)。展示室ではリニアの仕組みや歴史などがわかる。センターの正面に模擬車両があり、自由に入れる。意外に車内は狭く感じる。入館料無料。02年7月訪問

油山寺(袋井市)
701(大宝元)年行基大師創建の真言宗の古刹。諸病全快、特に目の病気に効くとされるお寺。正式には医王山薬王院油山寺(イオウザンヤクオウインユサンジ)という。昔、山門の先「るりの滝」から油が湧き出ていたことからこの名がある。
長野県

奥裾花自然園(長野県鬼無里村)
樹齢300〜400年のブナやトチの原生林に囲まれた湿原。およそ81万本もの水芭蕉の群生地で、その数は尾瀬よりも多く、日本一を誇る。一日ゆっくりと散策できる。裾花川上流にある湿原で、その途中には全長5kmにもわたる高さ100mの絶壁が連続する渓谷も見応えがある。 99年5月訪問

しらびそ峠(下伊那郡上村)
国道152号線より遠山併用林道を十数キロほど走ると、南アルプスの眺望が突然広がる(写真左の山は甲斐駒ヶ岳)。反対側には中央アルプスの展望が望める絶景ポイント。標高1833m。名前の由来は、当初木材搬出用の道として開削された際、峠周辺はしらびそ(マツ科の常緑樹)の原生林で覆われていた為。近くに遠山森林鉄道の説明があり、キャンプ場や宿泊施設も整備されている。

前山寺・三重塔(上田市)
この塔の特徴は、二・三層に扉も窓もなく、また欄干も廻縁もなく、未完成のままに終わっている。しかし、見た目には不自然さはない。この塔の様式は、鎌倉時代末期に始まった和様と禅宗様との折衷様式である。室町時代に建てられたと言われ、大正11年に国指定重要文化財になっている。

布引観音(小諸市)
天台宗布引山釈尊寺(通称布引観音)は、行基創建という天台宗の名刹。「牛に引かれて善光寺参り」の伝承で有名。不信心な老婆が千曲川に織府を晒していたところ、牛が現れ、その布を角に引っかけて走り去った。強欲な老婆はその牛を追い、気付けば善光寺(長野市)さまにたどり着いていた。そこで姿を消した牛の代わりにお堂に現れた観音様が不信心を諭し、それ以後老婆は改心し、情け深い人間になり、長生きしたという。

諏訪大社・秋宮(下諏訪町)
祭神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)と妃の神八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)、一般には古くから上社が男神様、下社が女神様を祭ると言われてきた。創建時期は不明だが、日本でも最古の神社の一つに数えられる。
国譲りの神話によると、天照大神が出雲の国の大国主命のもとにお使いとして建御雷命(タケミカヅチノミコト)を遣わされ、領地「豊葦原の中つ国」を献上するように求められた。大国主命と第一王子八重事代主神はそれに応じたが、気性の荒い第二王子建御名方神は反対し、御使者と力比べで決することになった。が、稲佐の浜で行われた力比べで建御名方神は負けとなり、出雲の国から逃れて科野(信濃)の州羽(諏訪)の地までこられ、「この地を除いては他所に行かない」と言われ、諏訪に住みついたという。
信仰については、建御雷命に力比べを挑んだ事から、昔は日本第一大軍神として武家の守護神としても尊ばれた。また、古くから雨や風に関係ある農業の守護神としての信仰が著名で、水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くにはお諏訪様が祭られている。

牛留池(安曇村)
溶岩台地のくぼ地にあり、湖面に写る乗鞍連峰は幻想的。モリアオガエルやルリイトトンボなど珍しい動植物の生殖地でもある。氷河時代の生き残り、ミツガシワも自生する。ミズバショウの群生が美しい。

番所大滝(安曇村)
この番所大滝(バンドコロオオタキ)は小大野川にかかる滝で、乗鞍岳から流れ出た溶岩流により形成された滝。ちょうど流れ下った溶岩流の末端付近にあたる。落差が40m、幅15mある。水量も多く、迫力がある。上流部には落差8mくらいの番所小滝がある。
  
三本滝(安曇村)
小大野川及びその支流の黒い沢、無名沢に懸かる滝で、それぞれ趣を異にした三本の滝が一ヶ所に合流している。本流の小大野川では標高2040mの三本滝から1840mの滝壺まで高度差200mの間に数段の滝を造っているのも珍しい事象である。滝を形成する岩石は乗鞍火山の活動にする含角せん石複輝石安山岩の溶岩と同質凝灰角れき岩であり、比較的やわらかな凝灰角れき岩層が浸食され滝が形成された。付近はシラビソ、カツラ、コメツガ、ダケカンバなどの原生林で、紅葉の頃の景観はとても美しい。

善五郎滝(安曇村)
落差25m、幅15mのダイナミックは滝。昔、大野川の里に住んでいた善五郎という木こりが、この滝で釣りをしていたところ、釣り針にかかった大きなイワナに滝壺に引き込まれそうになり、命からがら逃げ帰り、里の人々にこの話をしました。それから、「善五郎の滝」といわれるようになった。

万座温泉郷(長野県嬬恋村)
白根山の南西、海抜1800mの原生林に囲まれた高山温泉郷。むかし、この地で坂上田村麻呂が鬼退治をしたという伝説が残る。江戸末期に湯宿ができ、全国に知られるようになった。1日の湧出量540万リットル、その泉質は27種類を数える。

諏訪湖間欠泉センター(諏訪市)
上諏訪温泉は、1日1万5千キロリットルの湯量を誇る全国有数の温泉地。中でも諏訪湖畔に位置する間欠泉は、高さ50mまで噴き上がり、間欠泉としては日本一の規模を誇る。すぐ後ろの建物は温泉センターで、間欠泉のある露天風呂も水着着用で入れる。噴泉は、約1時間おき。

鏡池(戸隠村)
戸隠連峰を湖面に写す美しい池。農業用水として造成された人造湖だが、周囲はブナやミズナラの原生林が広がり、新緑や紅葉の時期はさらに美しさが増す。また、春先にはミズバショウなどの花が咲き誇り、人工物とは思えないほど自然豊かな景観を見せてくれる。

善光寺(長野市)
善光寺の創建は奈良時代とみられ、"善光寺縁起"によると欽明天皇の13年(552)に百済の聖明王(ショウメイオウ)から阿弥陀如来を贈られるとある。源頼朝の時代には、1191(建久2)年に再建されたのち、各地に本尊の模造仏が作られ、信仰が広められていった。写真は7年に1度行われるご開帳の時で、その時だけ阿弥陀如来像の姿を拝むことが出来る。また、戒壇めぐりでは、本尊の厨子の下にある真暗な回廊を巡り、本尊の真下にかかる鍵に手さぐりで触れることで、本尊と結縁し、極楽往生が約束されるというもの。

元善光寺(飯田市)
開山は推古天皇の頃と伝えられる古刹で、長野市の善光寺本尊は最初ここに祭られていたという。寺宝にはその本尊の台座となった御座光の臼がある。長野善光寺と元善光寺の両方をお詣りしないと片詣りと言われ、善光寺だけでなく、こちらの元善光寺も詣る参拝者も多い。

丸窓電車(上田市)
上田交通別所線で1986(昭和61)年まで走っていた電車。戸袋の窓だけ何故か丸窓になっている。当時、上田を訪れた時にも乗車した覚えがある。今は別所温泉駅近くに展示保存されている。
新潟県

佐渡金山(佐渡市)
1601(慶長6)年に発見され、以後徳川幕府の財政を支えた。その後、幕府から国へ、国から民間に受け継がれ、1985(平成元)年まで採掘が行われた。その間に採掘された量は、金が78トン、銀は2,330トン。坑道の総延長は約400kmにも及ぶ。施設では当時の坑道を一部利用して、江戸時代の過酷な労働の様子を再現している。

たらい舟(佐渡市)
佐渡市小木地区には昔からたらい舟による漁が行われており、これは観光たらい舟に乗船した時のもの。たらい舟は小回りが利き、安定しているので、女性がサザエやワカメ漁に使用している。今はこのたらい舟を作る職人さんが減っているとか。95年5月訪問

佐渡トキ保護センター(佐渡市)
学名ニッポニアニッポンと、その名にニッポンがつく、まさに日本を代表する鳥。が、最後の純血の日本産のトキであるキンは2003年度に死んでしまいました。今は中国のトキを飼育し、産卵、増殖させています。当時、最後のトキとなったキンはすでに繁殖活動を終え、余生に入っていたので、写真のトキも中国から借りてきたトキです。
富山県
  
滑川・ホタルイカツアー(滑川市)
当日午前2時半迄に集合。3時過ぎ出発と、眠たかった。。。既に漁師は定置網を巻き上げているところで、網にかかったホタルイカが海から上げられるときに淡い光りを放つ。右の写真はわかりにくいけど、ホタルイカが光った瞬間。一匹ではなく、何十匹と光ったが、写真に残すには弱々しい。(01年5月)

岩瀬家(富山県上平村)
茅葺き切妻合掌作り
幅23.99m、奥行き13m、高さ14.36m。建築年代は不明だが、江戸末期に近いと言われる。五箇山における塩硝の上煮役を努めた藤井長右衛門が建築した物。住宅の横に役人が泊まる書院が設けられている。書院の間の横には侍が待機する刀隠しの部屋が4畳もない小さい部屋が設けられている。この地方最大の合掌作り。

菅原合掌集落(富山県上平村)
合掌造りの集落。現存する合掌家屋は9棟あり、うち2棟は江戸時代建築のもの。富山県には他に平村の相倉集落がある。それと岐阜県白川郷の3ヶ所が世界遺産に指定されている。この近くには合掌家屋を利用したコテージがあり、1棟仲間と借切って宿泊できる。

海王丸(新湊市)
海王丸は1930(昭和5)年に神戸・川崎造船所にて進水し、大型練習帆船として11,190名もの船員を教育し、1989(平成元)年9月引退。今では富山で「海王丸パーク」にて保存一般公開されている。マストは4本あり、メインマストは水面から46mもの高さになる。全長97m、幅13m。

村上家(平村)
1578(天正6)年建築とみられ、4階建ての合掌造り民家。藁葺きの屋根の真ん中に見える窓は明かり窓。1958年重要文化財に指定。
石川県

禄剛崎灯台(珠洲市)
明治16年初点灯。明治期に建設された石造の灯台として歴史的価値の高い灯台。能登半島の先端に位置し、風が強いところから風岬ともいわれた。

キリコ会館(輪島市)
キリコとは高さ4〜15mにも及ぶ大型の切子灯籠のことで、輪島大祭に使われる輪島塗が施された華麗なキリコや能登各地のキリコが常設展示されている。

世界一長いベンチ(富来町)
増穂浦海岸にある全長460.9mの世界一長いベンチ。過去には1346人が座ったという記録を誇っている。目の前の増穂浦海岸は「日本の水浴場55選」にも選ばれた美しい海岸。また、「サンセットヒルイン増穂」と名付けられた夕陽の名所でもある。
岐阜県

青だる(岐阜県上宝村)
福地温泉では毎年”青だる”と称する氷柱が出来る。福地の山奥、福地壁に現れる神秘的な現象が「青だる」岩からしみ出た水が凍り付き、青く垂れ下がる様を福地温泉内で再現させたもの。夜はライトアップをしている。

白川郷(白川村)
時代をタイムスリップしたかのような茅葺き屋根の集落を見ることが出来る。家屋はそれぞれが同じ向きに建てられている。これは雪や風の影響を考慮し、屋根に一様に日が当たるように建てられている。

高山陣屋(高山市)
1692(元禄5)年徳川幕府は飛騨を幕府直轄領とし、明治維新の177年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、ここで行政・財政・警察などの政務を行った。明治以降もそのまま地方官庁として使用されたが、昭和44年飛騨県事務所が移転し、270年続いた役所の幕を閉じた。全国にただ一つ現存する徳川幕府郡代所。

淡墨桜(根尾村)
薄墨桜は、蕾の時は薄いピンク、満開に至っては白色、散り際には特異の淡い墨色を帯びるという桜の種類300余種の中でも、特に珍しい貴重な桜。樹齢は1500余年で、樹高は16.3m、大正11年には天然記念物に指定。
福井県

白山神社(勝山市)
平泉寺白山神社は、白山を開いた泰澄大師が、717(養老元)年に創建した古社。48社36堂の修験坊舎をもち、白山信仰の一大拠点として栄華を極めたが、一向一揆で全山が焼失。現在は拝殿や本殿などの7つの社殿と、国の名勝の旧玄成院(ゲンジョウイン)庭園が残る。菩提林(ボダイハヤシ)と呼ばれる老杉が約2kmにわたって続く参道は石畳を覆う苔が美しく、日本の道百選にも選ばれている。

勝山城博物館(勝山市)
平成4年に完成した勝山城は、5層6階からなる天守閣は、石垣から鯱まで57.8mあり、日本一の高さを誇る。館内は、古くは鎌倉時代の重要刀剣や全国から集められた貴重な文化遺産が数多く展示されている。この他、茶室や図書館などもあり、6階の展望室からは、遠くは白山連峰から越前大仏、市街地を一望できる。周囲は一面の田圃で、ぽつんとこの勝山城が聳えている。この城は、勝山市の名誉市民でもある多田清氏(平成3年没)が私財を投じて、約5年の歳月をかけて郷土に建設したもの。

気比の松原(敦賀市)
長さ約1.5km、広さ約40万m2という広大な広さを誇る。白砂青松のコントラストが印象的な松原で、赤松や黒松約17,000本が生い茂る景勝地。虹の松原・美保の松原と共に日本三大松原に数えられる。「一夜の松原」という伝説があり、聖武天皇の御代、この地に遺賊が来襲。その時一帯が突然振動し、一夜にして数千の松が浜辺に出現した。樹上には無数のシラサギがとまり、それを異賊は数万の軍勢と見て逃げ去ったという。早朝に行ったが、朝日に照らされた松原は更にコントラストが増して、美しく思えた。


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