北海道の旅

宗谷支庁

宗谷岬(稚内市)
北緯45度31分14秒で、日本最北端の地。天気がよいと向こうにサハリンが望める。三角錐の建物は日本最北端の地の碑で、北国のシンボルである北極星の一稜をモチーフしたデザイン。塔の中央にはNの文字があり、北を意味し、台座の円形は平和と協調を表現している。その左側には間宮林蔵の立像があり、日本人として只一人、世界地図にその名を残した偉業を讃え、生誕200年を記念して1980(昭和55)年に建てられた。すぐ右にある売店では、最北端到達証明書を発行してくれる。

宗谷岬灯台(稚内市)
明治18年9月25日初点灯で、道内では三番目に古い歴史をもつ。高さ17m、海抜40mの位置にあり、紅白のツートンカラーが鮮やかな灯台。宗谷海峡を航行する船舶の目標となり、沖合焼く2kmまで光が達する。道内では三番目に古い歴史をもつ。もちろん、日本最北端の灯台。

ノシャップ岬(稚内市)
アイヌ語でノッ・シャムといい「岬が顎のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があると伝えられる。遠くに利尻や礼文が眺められ、最北の地に来たんだなぁと感じられる。近くに青少年科学館やノシャップ寒流水族館などがある。

稚内灯台(稚内市)
ノシャップ岬のシンボル的存在で、紅白のツートンカラーをした灯台。高さ42.7mと全国でも二番目の高さを誇る。明治33年12月10日初点灯で、初代の灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月に」のロケ地にもなり、今とは別の場所にあった(現レーダーサイト)。現在の灯台は二代目で昭和41年1月10日に現在の地に移った。

稚内公園(稚内市)
稚内市街の後方、小高い丘の上にあり、様々なモニュメントが建ち並び、稚内の歩んできた道のりを垣間見られる場所。写真左奥は氷雪の門で樺太で亡くなった人々の慰霊と異国となってしまった樺太への望郷の念を込めて1963(昭和38)年に建立。他にも開基百年記念塔や南極観測樺太犬記念碑などがあり、展望台からは遠く宗谷岬まで望める。

南極ハイランド(稚内市)
南極観測隊で活躍し、その後過酷な自然に耐えて生還した樺太犬タロ・ジロの故郷が稚内であることにちなんで開催される冬のイベント。2月〜3月下旬と長期間開催され、チュービングコースやジャンボ滑り台、雪像などが設置され、スノーモービルも楽しめる。2月には犬ぞりの全国大会も開催される。

大沼(稚内市)
面積4.8km2周囲約10km、最大深度2.2mで、ほぼ円形に近い沼。アイヌ語でシュプントウ(ウグイ【シュプン】が多くすむ沼【トウ】の意味)と呼ぶ。大沼周辺では、約118種類の野鳥の飛来が記録されており、中でも春と秋に飛来するハクチョウは約2万羽もの数を数えるようになりました。大沼バードハウスには有名な白鳥おじさんがおり、自費をはたいて白鳥に餌を与え続けているそうな。

スコトン岬(礼文町船泊村須古頓)
礼文島最北端の岬で沖合1kmほどには無人島の海馬(トド)島が浮かぶ。この島には11〜4月には数十頭のトドが集まる。晴れれば、遠くサハリンを拝むことも出来る。まだ、測量技術も発達していない頃は、ここが日本最北端と思われていたが、宗谷岬の方が緯度が高いとわかり、そのためかここにある碑には「日本最北限の地」と書いてある。トド島には夏場だけ漁船にて渡ることが出来る。

礼文滝(礼文町)
8時間コースの最後の景観地だったが、今は通行禁止の為、礼文林道からしか行けないらしい。礼文滝の上は素晴らしい花畑になっており、その景色は一見の価値がある。

地蔵岩(礼文町)
高さ50mにも及ぶ奇岩で、礼文島有数の観光地。近くの砂浜はメノウ海岸と呼ばれ、メノウの石が落ちていると言われている。が、観光客が拾って帰るので、狙い目は海が荒れた翌日の朝早く、人が来る前に拾うべし。近くはウニの漁場でもあり、一番近い元地の集落でもウニ丼が食べられる。

猫岩(礼文町)
元地近くの桃台猫台から眺められる。最も近くで見たい場合は、桃岩YH近くの海岸沿いがいい。猫が海を眺めている様にも思える。

日曹炭鉱跡地(豊富町)
明治中期に開拓民によって発見され、1937(昭和12)年に本格的採掘を開始。1940(昭和15)年には日曹専用鉄道が開通したが、1972(昭和47)年には閉山、鉄道も同時に廃止される。近くに最盛期の地図は記されているが、小中学校の他に娯楽施設や病院なども存在したらしく、今では建物もほとんどないこの地に大きな集落が存在したことがうかがえる。今ではその場所もわかりづらく、道路沿いから時々、人の手が加えられたような開墾した跡らしき場所がところどころ見られるくらい。廃線の跡は一部サイクリングロードとして利用されている。

言問の松(豊富町)
松とあるが、実はイチイ(オンコ)の木。樹齢約1200年で兜沼に開拓に入るはるか前からこの地に立つ。明治時代に入植した開拓者が伐り倒そうとしたが、何人もの怪我人を出したり、病に臥したりしたため、神のお告げがあると考え、以後この地の守り神として敬愛されてきた。「こととい」の名は、この老樹に昔のことを訪ねると、何ごとも知っており語ってくれると信じられたことに由来している。幹周4.2mで樹高が14mある。付近は吹きさらしの草原地帯の為、数年前に風よけのネットが張られた。02年8月訪問。

大規模草地(豊富町)
面積約1,400haにも及ぶ草地に約1500頭もの乳牛やめん羊が放牧されている。未開の原野を牧草地として造成した広大な丘陵地帯は規模として日本一を誇る。中心部にあるレストハウスでは食事が出来、牛乳は地元の豊富牛乳を100円で飲み放題だ。ここの牧場は若牛の育成を主とした牧場で、全国の牧場から搾乳前の若牛を預かり、放牧・育成している。

トナカイ牧場(幌延町)
雪にトナカイはとてもマッチしている。

クッチャロ湖(浜頓別町)
周囲27km、面積16km2の広さをもつクッチャロ湖は、道北最大の湖で日本最北の湖でもある。大沼と小沼の2つの沼から形成されており、2つの沼をつなぐ水路の最狭路は約25mで、少し変形した瓢箪状の湖。最大深度は2.5mしかなく、標高が低いため、満潮時には約3km離れたオホーツク海から海水が入り込む。「トー・クッ・チャロ」と言うアイヌ語に由来し、「沼から水が流れ出る口」「沼の出口」の意味。白鳥の飛来地として有名で、サハリンから本州に渡る白鳥の休憩地になっている。春と秋のシーズンには約2万羽ものコハクチョウが羽を休めていく。1989(平成元)年には国内3番目のラムサール条約の登録湿地に指定されている。

クローバーの丘(浜頓別町)
クッチャロ湖の西側、小高い丘の上にある展望台。クッチャロ湖の向こうにはオホーツク海まで見渡せる。周囲にクローバーの群生が見られる事からこの名が付いた。さらには鐘が設置されており、ここで四つ葉のクローバーを見つけ、鐘を鳴らすと幸せになれると言われている(らしい?)。
網走支庁

知床岬(斜里町)
ウトロのネイチャー・ウォッチング・ボートで知床岬まで遊覧しました。途中で、乙女の涙・男の涙・カムイワッカの滝などを見学しながら、半日かけての遊覧です。

知床岬灯台(斜里町)
白と黒のツートンカラーをした塔形コンクリート造り。実効光度28万カンデラで、その光達距離は22海里(約40km)に及ぶ。高さ12mあり、1963(昭和38)年10月15日初点灯。

知床峠(斜里町)
斜里町ウトロと羅臼町を結ぶ知床横断道路(国道334号線)の頂上部で、知床連山の尾根筋にあたる。標高738m。開通期間は4月下旬から11月上旬で、開通間近には雪の壁が見られる。展望台からは目の前に羅臼岳を望むことができ、遠くには国後島を眺めることが出来る。知床八景の一つ。

オーロラファンタジー(斜里町)
1958(昭和33)年に知床で本物のオーロラが見られらしく、その感動を再現しようと始められたイベント。麦ワラをいぶした煙でスクリーンを作り出し、レーザー光線を投影することで、ダイナミックで幻想的に揺らめくオーロラを再現。自然の風雪と麦ワラの煙が奥行きのある三次元のスクリーンを生み出し、これにサラウンド効果満点のサウンドが会場内に流れる。一見の価値ありのイベントだが、2月〜3月の冬期に屋外で行う為、防寒対策は万全にする必要がある。特に立ったままで見学するので足下が冷える。
  
オシンコシンの滝(斜里町)
知床八景の一つで、日本の滝100選にも選ばれている。途中から流が2つに分かれることから「双美の滝」とも呼ばれる。落差が80mあり、滝上からも眺めることが出来る。

ゆりの郷こしみずリリーパーク(小清水町)
約13haの園地内にカサブランカやファタモルガナなど世界各地から集められた約110品種700万輪のゆりが咲き誇る。1998(平成10)年開園。毎年7月中旬から9月上旬に公開される。

越川橋梁(斜里町)
戦前に斜里から標津に国鉄根北線を敷く計画で造られた橋梁で、昭和14年着工完成した。無筋コンクリート製10連アーチ式橋梁で、全長147m、高さ21.7m。正式名称は第一幾品川橋梁。
 戦後になって昭和32年に根北線として斜里〜越川間が開通したが、その後この越川橋梁まで線路が延びることはなく、昭和45年には根北線も廃線されることになる。その後、国道244号線の拡幅工事のため、橋脚2本を撤去することになり、現在のような形になった。この建設工事はタコ労働と呼ばれる過酷な労働が行われたらしく、囚人や強制連行された朝鮮人がその労働に当てられた。更には、材料不足を補うためか人柱までも使われたという、悲しい話が伝わる遺跡。国指定有形文化財。
  
宇宙展望台(清里町)
木製の電信柱や廃材を利用して作られた展望台(左写真)。清里町の小高い丘の上にあり、清里町から遠くオホーツクまで見渡せる。特に斜里岳からの裾野に広がる農村風景が美しい。名前の由来は、夜に迫力満点の星空が頭上に広がり、宇宙を身近に感じることができることから名付けられた。2001年に新しく作り替えられて、鐘が取り付けられた(右写真)。

男鹿の滝(清里町)
斜里川上流五ノ沢にかかる落差25mの滝で、この滝は上流に川のない不思議な滝で、斜里岳の銀嶺水が1日3万トンも岩から湧出し、流れ落ちている為。周囲は夏でも薄暗く涼しい。また、熊の生息域でもあるので、訪れるときは熊鈴を持つなど、充分注意したい。

江鳶峠展望台(清里町)
道道857号線を山奥に突き進むと今にも崩れそうな展望台に出会う。屋上からはオホーツク海も望めるようだが、この日は天候が悪く視界がなかった。エトンビ山スカイラインの途中にあるが、全線悪路で幅もないので、対向車が来ないかちょっと心配。せめて展望台だけでも改築して欲しい。
  
網走監獄(網走市)
1984(昭和59)年9月まで網走刑務所として使用されていた五翼放射状平屋舎房をそのまま移設して、博物館として一般公開している。この舎房は明治42年に火災で焼失した舎房に代わって、それまでの並列型ではなく中央見張りを中心に雑居房・独居房・鎧格子・矢筈格子といった独特の建築技法を採用し、明治45年に再建された。明治獄舎の名残を完全にとどめる舎房としては国内最大規模で、ことに木造では現存する我国最北端の監獄である。北海道の開拓時代には道を拓くのに大変な労力が必要で囚人に作業させていたらしく、寒い中重りを付けられての作業はとても過酷な作業だったらしい。

能取岬(網走市)
ノトロとはアイヌ語で「ノツ・オロ(岬のところ)」に由来する。標高50mほどの断崖岬、先端には灯台があり、遠くは知床半島まで見渡せる。岬一帯は市営美岬牧場になっており、夏場は牛や馬が放牧されている。

能取岬灯台(網走市)
白と黒のツートンカラーをした八角形コンクリート造りの灯台。高さは21mで、大正6年10月1日初点灯。1996(平成8)年には灯台の電源を自然エネルギーの太陽電池に変更。北海道一の規模を誇る。

流氷砕氷船オーロラ号(網走市)
流氷が誕生するのはアムール川河口付近で、そこから流れ出た流氷はオホーツク海を南下し、網走周辺にまで及ぶ。オーロラ号はその流氷を船の重みで割り進んでいく。大きな流氷を割りながら、その振動が船全体に伝わるのは醍醐味がある。夏場はウトロ発の知床岬観光船として活躍している。

サンゴ草
国道を走っていると、サンゴ草の看板が見える。こんなに見事に赤いのかといつも思っていた。初めて見た時は小さな草なのにびっくりした。撮影するのも一苦労した。

東藻琴村芝桜公園(東藻琴村)
東藻琴市街から藻琴山方向へ約8km。小高い丘の斜面が芝桜公園。春になると鮮やかなピンク色に山の斜面が染まる。満開になると、8万km2に及ぶ広大な斜面が芝桜で覆われる。5月第2日曜日には芝桜まつりも開催される。開花時期は5月中旬〜6月上旬。

ヒマワリ畑(女満別町)
女満別町でヒマワリ畑というと朝日ヶ丘公園が有名。ここは何気ない道の途中で見つけたヒマワリ畑。9月頃が見頃の遅咲きの花。背丈が1m以下しかない。オーナーが親切な方で、道から写真を撮っていると「入っていいよ」と声をかけてくれた。道からだと花が後ろ向きだった。

メルヘンの丘(女満別町)
国道39号線沿いで女満別町から網走市へ向かう途中にある。丘の上に7本の木が立ち並ぶ。黒沢明監督の作品「夢」でロケ地になったらしい。

サロマ湖(佐呂間町)
北海道最大の湖。面積151.7km2、周囲91km、最深19.6m、海抜0mで海と繋がっており、冬は結氷した湖面の上でスノーモービルやパラセーリングなどウィンタースポーツを楽しめる。横に細長い湖。幌岩展望台より網走方面を望む。

上湧別チューリップ公園(上湧別町)
公園面積12.5ha、作付面積7ha、作付品種120品種、作付本数120万本。
昭和30年代から輸出用作物としてチューリップ球根が栽培されており、現公園の敷地にあった老人農園で昭和57年から球根を植え始めたのが始まり。次第にチューリップ畑は広がり、昭和63年に町立のチューリップ公園として指定し、年々拡張と整備されてきた。風車とチューリップ畑がオランダの雰囲気を思わせる。
開花時期は5月上旬〜6月上旬。入園料200円。

瞰望岩(遠軽町)
えんがる公園内にあり、アイヌ語の「インガルシ(見晴らしの良い所)」に由来する。街の名前の「えんがる」もここから名付けられた。遠軽市街に入ると、とてもめだつ存在で、街のシンボル的存在。アイヌの人々の古戦場となった伝説もあり、頂からは遠軽市街を一望できる。

太陽の丘えんがる公園(遠軽町)
ひとつの丘の頂から裾野までをそっくり生かした広大な公園。写真は色鮮やかな花々で埋め尽くされる「虹のひろば」エリアで、夏から秋にかけて1000万本ものコスモスが咲き広がるのは絶景。他にも芝桜やつつじなど多種楽しめる。

滝上公園芝桜(滝上町)
市街地北側の丘陵地約10万km2にピンク色の可憐な花が咲き覆います。さながらピンクのフラワーカーペット。濃いピンク色の花が多く、甘い香りに公園がつつまれる。芝ざくら祭りが開催され、メインイベントは、フロックスシンデレラコンテスト。開花時期は5月上旬〜6月上旬。入園料は200円。

紋別・ガリンコ号(紋別市)
船底に備えるアルキメディアンスクリュー で流氷を砕きながら突き進むさまは見応えがある。また、流氷と共にエサを追ってきたオオワシやオジロワシにもすぐ目の前で出会える。

氷海展望塔オホーツクタワー(紋別市)
オホーツク海に突き出した氷海展望塔。海底自然観測室からは、多彩な海中生物の生態の他、冬には流氷も海底から見ることが出来る。

氷のトンネル(西興部村)
大きい時で高さ3m、幅4〜5m、積雪の多いときは長さ500mにも達するという。冬の間。谷間に積もった雪がその重みで固く積み重なり、下を流れる沢が気温の上昇と共に積雪の下部から溶かし始め、また降雪時に付近の落葉も集め、それが保温効果をもち、トンネル状に大きな穴ができあがるというわけです。この時も人間が立って入れるくらいの大きさに成長していました。残念ながら2001年に崩落事故が発生し、以後立入禁止となっている。96年7月訪問。
根室支庁

羅臼湖(羅臼町)
周囲3.7km、面積0.43km2、最深4m、平均水深1.5m。標高730m。天頂山の噴火によってできた堰止め湖。季節には高山植物や湿原の花が楽しめる。静かな場所だったが、最近観光バスに乗り付けてくる人も多くなったとか。写真の山は知西別岳。

ヒカリゴケ(羅臼町)
幅18m、奥行約10mの洞窟内で苔が黄緑色の光を放つことから「ひかりごけ洞窟」とも呼ばれる。羅臼のヒカリゴケは1941(昭和16)年に発見され、日本では最大の規模を誇り、1963(昭和38)年には北海道の天然記念物に指定されている。この洞窟では松浦武四郎が1856(安政5)年5月4日の夜に野宿したという記録がある。

野付半島(標津町)
根室海峡の潮流により作られた日本最大の「砂嘴」。延長28kmの半島だが、その幅は狭い所130mくらいしかない。海岸線は野付湾側は入り組んでいるのに対し、海峡側は単調な対称的な姿を見せる。半島中央部付近のトドワラが有名。半島の突端にはかつて繁栄した集落があったらしく、今ではその姿を見られないが、一度行ってみたい所。

奥行臼駅逓所(別海町)
明治末期から入植が行われた奥行臼地区の交通拠点として1910(明治43)年10月に開設された。当初馬3頭を配備し、宿屋と人馬継ぎ立てなど請け負ったといわれている。根室管内に44ヶ所配備された中で唯一現存する物。

茨散沼(別海町)
低層湿原でじゅん菜の取れる沼として知られている。深い樹林の一帯は鳥獣保護区に指定されている。国道より少し入った場所に位置し、この時も訪れる人もいなく、静かな雰囲気の場所。面積30ha、最大水深10m、湖面の標高7m。

東根室駅(根室市)
日本最東端の鉄道駅で東経145度36分JR花咲線の終点1つ手前の駅で、無人駅。有人駅では根室駅が最東端になる。

春国岱(根室市)
根室湾と風蓮湖を区切る長さ8km、幅1.3kmの長大な砂州。野鳥の宝庫で、この時もタンチョウを間近で見られた。日本最大級のハマナスの群落もある。ネイチャーセンターが国道沿いにある。

望郷の家・北方館(根室市)
北方館では、北方領土問題の発生状況や歴史的経緯を開設展示している。右側は四島のかけ橋というモニュメントで、北方領土を4つのブロックにし、繋がりあって大きなかけ橋となっている様を表現したもの。アーチの下では最南端波照間島で灯され、今も燃え続ける「祈りの火」がある。

納沙布岬(根室市)
北海道最東端の地。すぐ目の前には歯舞諸島が見える。もっとも近い貝殻島までは3.7kmの距離にある。夏は日本一早い日の出が見られる場所でもある。

納沙布岬灯台(根室市)
日本最東端の位置にある灯台で、明治5年7月初点灯。道内でもっとも古い歴史をもつ。

落石岬(根室市)
JR花咲線落石駅から徒歩約2時間。途中、落石の集落を通るが、岬はそれより少し離れており、あまり人も来ない静かな場所。周辺には国の特別天然記念物”サカイツツジ”の南限の自生地であり、6月頃美しい花を咲かせる。目の前には太平洋が広がり、落ち着いた時間を過ごすには最高の場所と思う。海岸線は切り立った断崖絶壁になっており、岬の内陸部は台地状になっている。高台より海岸線近くが良ければ、岬より西側にある砂浜が良い。

落石岬灯台(根室市)
日本の灯台50選にも選ばれた灯台で、白と赤のツートンカラーに塗色された塔形コンクリート造り。高さ14.9mあり、海面から灯火までの標高48m。1890(明治23)年10月15日初点灯。
釧路支庁

摩周湖(弟子屈町)
日本一の透明度を誇る湖。周囲20km、面積19.6km2、最深212m、海抜351mのカルデラ湖。周囲は300〜400mの断崖絶壁に囲まれ、湖面には降りられない。摩周岳が聳え、湖面に浮かぶ中島は周囲260〜300m、高さ25〜31mの溶岩円頂丘です。

屈斜路湖(弟子屈町)
周囲57km、面積79.7km2水深115.7m、標高121m。写真左に見える中島は、周囲12km、面積5.6km2。湖畔にはいくつもの温泉が沸き、冬にはハクチョウが訪れ、御神渡りを見ることが出来る。津別一年を通して楽しめる湖。

硫黄山(弟子屈町)
8千年ほど前、屈斜路カルデラで発生した大噴火により隆起したのがこの硫黄山。標高512m。その後、安政年間に小噴火した後が、通称「熊落とし」火口。硫黄山では、良質な硫黄が取れ、明治10年に本格的に硫黄の採掘を開始する。明治20年には硫黄山から標茶まで採掘した硫黄を運搬する北海道でも2番目の安田鉱山鉄道(後の釧路鉄道)が開通する。川湯温泉も硫黄山の発展と共に賑わいを見せたが、その後硫黄山は閉山し、現在に至る。

藻琴山(弟子屈町)
屈斜路湖の北側に立つ円錐形の山で標高999m。ちょうど目の高さが1000mになる。なだらかの稜線は女性的な姿を魅せ周囲の景色と調和している。中腹を通る道道102号線から入る藻琴山第二展望台より徒歩約1時間で登れ、ハイキングにもちょうど良い。冬にクロカンで歩くにも適しており、オホーツク海まで見渡せる絶景の展望地。

シラルトロ沼(標茶町)
周囲7.5km、面積1.7km2、最大深度2.3mの海跡湖で、湿原がまだ生成される前はこのあたりは海だった。マリモの産地でもあり、阿寒湖についでお土産マリモの材料を採取している。冷泉橋辺りからの夕景は素晴らしい。

塘路湖(標茶町)
標高8mに位置する周囲18m、面積6.2km2最大深度7mの釧路湿原最大の湖。元々、この塘路湖もシラルトコ沼も海だったらしく、釧路湿原の形成途中で海から分離され、陸部に残された海跡湖である。その証拠に塘路湖の湖底には海に生息する動物の亜種が存在する。冬には結氷し、御神渡りができる。また、ワカサギ釣りでも有名。

二股(標茶町)
釧路川がちょうどU字形に曲がる景勝地で、塘路湖から流れ出たアレキナイ川の合流点でもある。釧路川は古くから釧路−川湯・硫黄山を結ぶ交通路として利用され、この二股付近から釧路までは船で物資を運搬していました。また、古くには映画撮影時に作られた橋の橋脚跡が今も右岸側に残されています。

釧路市湿原展望台(釧路市)
釧路湿原の西端、北斗の高台にある展望台で、湿原を眺める展望台では唯一の有料施設。鉄筋3階建てで湿原を360度見渡せる展望ブースや屋上には展望バルコニーが設けられている。建物は湿原に群生する「ヤチボウズ」をモチーフにしており、古風な西欧の城を思わせる建物になっているんだとか。館内ではパネルによる湿原の生い立ちや動植物、地質などを説明展示しており、レストランや売店などもある。遊歩道も整備されており、周囲2.5kmを巡る遊歩道の他に恩根内ビジターセンターまで通じている。

幣舞橋(釧路市)
札幌の豊平橋、旭川の旭橋とともに北海道の三大名橋と言われている。橋の欄干には「春夏秋冬」をシンボライズするブロンズ像が配されています。初代幣舞橋は明治33(1900)年に架けられ、現在の橋は昭和51(1976)年に架けられた5代目の橋。

炭鉱展示館(釧路市)
釧路市内を見下ろす青雲台の高台に、太平洋炭礦の創立七十周年を記念して、平成2年改築オープン。太平洋炭礦の歴史と海底坑内の様子がわかるようになっている。

霧フェスティバル(釧路市)
釧路市民が主体となって開催される7月上旬のお祭り。特設会場でのイベントを中心にレーザーショーやパレード、露店も出る。

涙岬(浜中町)
厚岸町から霧多布湿原に通じる道道・北太平洋シーサイドラインの途中に駐車場がある。涙岬は別名乙女の涙とも呼ばれ、厚岸に住む若者が霧多布に住む網元の娘に会うために船でこの岬の近くを通った時に座礁。娘は断崖の上から若者の名前を呼び続け、いつしか岩になったという伝説が残る。嵐の夜などはその乙女のすすり泣きが聞こえてくると言われている。ちょうど岬の断崖の部分が乙女の泣き顔に見える所からこの名が付いた。

霧多布(きりたっぷ)岬(浜中町)
正式には湯沸(トウフツ)岬といい、またトッカリ(アザラシ)を見かけることがトッカリ岬とも呼ばれる。霧多布半島は周囲が断崖絶壁に囲まれた標高40〜60mの台地になっておおり、岬周辺は太平洋の怒濤が打ち寄せる男性的断崖美を魅せる。

アゼチの岬(浜中町)
霧多布半島の東の端が霧多布岬なら、西の端はここアゼチの岬になる。琵琶瀬湾に突き出た岬で、小島・ゴメ島・嶮暮帰島(写真奥左側)を望める。また、小島には絶滅危惧種のエトピリカが営巣している。

太郎湖(阿寒町)
海抜420mにある原始林に囲まれた湖。雄阿寒岳登山口から徒歩約10分。湖口からは勢いよく阿寒川が流れ出ていきます。

次郎湖(阿寒町)
太郎湖よりさらに10分ほど登山道を歩いた所にある。周りはとても静かで熊に遭遇するかも。。。大きさは太郎湖とほぼ同じ。

ペンケトー(右)・パンケトー(左)(阿寒町)
湖に通じる道はないので、阿寒横断道路の双湖台か雄阿寒岳から見るしかない。パンケトーへは林道が通じるが、通行止めの為、一般は入れない。ペンケトーとは「上の、上側の(ペンケ)湖(トー)」。パンケトーは「下の、下側の(パンケ)湖(トー)」の意味。

ひょうたん沼(阿寒町)
国道241号線の阿寒横断道路から道道1093号線(阿寒公園鶴居線)を鶴見峠方面へ数分走ると、右側に駐車スペースが現れ、そのすぐ下に見える。釣り人が多く、毎年ニジマスを放流しているそうだ。その為、しっかり入漁料を取られる。晴れていれば、雄阿寒岳が真正面に見え、気持ちがいい。運がよければ、鹿などの野生動物にも出会える。隠れたスポット。面積5ha、最大水深4.5m、湖面の標高440mの堰止湖

シュンクシタカラ湖(阿寒町)
面積11ha、湖面の標高445mで、阿寒町市街より遠く離れた山中にあり、神秘的雰囲気が漂う。湖面に降りたかったが、道が見つけられなかった。
十勝支庁

オンネトー(足寄町)
雌阿寒岳の西山麓にある周囲2.5kmの湖。季節や天候、見る角度によって澄んだ青、エメラルドグリーン、ダークブルーと湖面の色が変わることから別名「五色沼」と呼ばれている。初めてオンネトーを見たときは、ちょうど湖面の氷が溶け始めた頃で氷が溶けていくに連れて、色が変わっていくのがとても印象的だった。

オンネトー湯の滝
オンネトー奥にある駐車場から徒歩約20分。静かな森の中に急に開けた場所が現れるが、目の前に見えるのが湯の滝。高さ50mほどの岩肌を流れ落ちる滝で、滝の周囲に見られる藻の緑と調和し、美しい景観を見せる。滝下にある池にはなぜかテラピアが泳いでいる。

とうもろこし3万坪迷路(本別町)
とうもろこし畑が迷路になる(笑)。毎年開催地が移動するらしい。写真の後方に見えるのが展望台。ここから迷路全体を見渡せる。迷路以外にも熱気球の試乗会や露店などもあり、意外と楽しめる。

ハルニレの木(豊頃町)
十勝川の河川敷にある広い草原の中に立つ。近くには休憩所まであり、観光地化している。1本の木に見えるが、実は2本の木が一体化した珍しい木。夫婦の木とも言われる。推定樹齢は130年。日立のCM「この木何の木気になる木〜」に使われたという噂があるが実際は間違い。

十勝正直村・ガーデンパーク日新の丘(幕別町)
21haの広大な日新の丘に展開されるガーデンパーク。四季折々の花が咲き誇り、敷地内には売店やレストランも併設される。

東雲湖(上士幌町)
然別湖より遊覧船で行くか登山道を歩いて行く。周囲約1km。深さも1mないところもある小さな湖で、年々水草の成長や土砂の堆積が進んでいる。いずれは消滅するだろうと思われます(湖の草原化)然別湖同様、火山の噴火の際に堰き止められてできた湖で、以前は然別湖とつながっていたのではないかと考えられている。湖畔は静かでシマリスがでてきた。近くにはナキウサギの巣もあるらしい。

然別湖(鹿追町)
面積3.4km2、最大深度108m、周囲12.6km、湖面標高810mある。約3万年ほど前に火山の噴火によってできた堰止湖、湖には道指定天然記念物のオショロコマが生息する(が、禁漁となっている)。湖の東には天望山があり、その姿と湖面に映る影の形から”クチビル山”とも言われる。周囲には生きた化石と言われるナキウサギが生息し、自然豊かな景勝地。

勝毎花火大会(帯広市)
北海道最大の花火大会。十勝川の河川敷を利用して行われるので、川岸に座って見られるのがいい。都会のように人混みで見えないということもないし。

幸福駅(帯広市)
1987(昭和62)年に廃線となった国鉄広尾線の駅舎跡。隣駅は愛国駅で「愛の国から幸福へ」というキャッチフレーズで人気を博す。「愛国−幸福」の切符は当時1300万枚を売り上げた。今も幸福駅前の売店で切符を購入することが出来る。幸福駅の駅舎には定期券や使用済み乗車券、名刺などがびっしりと貼り付けられている。現在は鉄道公園として整備、保存されている。

愛国駅(帯広市)
旧国鉄広尾線の駅で、1987(昭和62)年に廃止される。今は交通記念館として保存されている。駅舎内には懐かしい蒸気機関車の機関室が展示されている。

坂本直行記念館(中札内村)
釧路市に生まれ、広尾村にて原野を開墾し酪農を営みながら絵画を描いた坂本直行(1906〜1982)の絵画を収蔵・展示する美術館。建物は、重要文化財指定の北大のモデルバルーンの牧牛舎を模した木造建物。六花亭の発行する児童詩誌『サイロ』の表紙絵及び包装紙のデザインは有名。直行氏は、坂本龍馬が生まれた郷士坂本家の末裔で、甥の孫にあたる。
上川支庁

北海道命名の地(音威子府村)
北海道の名付け親でもある松浦武四郎は、天塩川流域に関する調査のため、江戸幕府の命を受け、1857(安政4)年6月に現地に赴く。その途中、音威子府村の川筋に住んでいたアイヌの家に宿泊し、アエトモという長老からいろいろとアイヌの話を聞いた。その中で、「カイナー(男の意味)、カイチー(女の意味)」というアイヌ語の「カイ」という言葉は「この国に生まれた者」という意味で、「ナー」は敬語であるということを知り、「北加伊道」という名前を思いつく。その後、「加伊」は海に当てかえられ、「北海道」という名が誕生する。この碑は天塩川の川沿いにひっそりと建立されている。当時は道らしい道もなく、川沿いに遡るのが内陸に入る交通手段の一つであった。

美深松山湿原(美深町)
日本最北の高層湿原であり、標高797mという高所にある。湿原にはえぞ松沼(写真)・つつじ沼・はい松ぬまの3つの沼地があり、遊歩道で湿原を一周するように整備されている。初夏から夏にかけて約200種類の植物を見ることが出来る。湿原に至る登山道の途中にはいくつかの滝が点在し、これらの見物もまた楽しい。

智恵文ひまわり畑(名寄市)
名寄市の郊外、智恵文の丘に敷地約12haに70万本のひまわりが咲く。30haの土地を3ヶ所に分け、毎年土地を移動して連作障害を防いでいる。見頃は8月上旬から下旬。

桜ヶ丘公園(下川町)
下川町の市街地を一望できる場所にあり、園内には万里の長城が築かれており、そこに積まれた石には名を刻み込むことができ、記念に全国から応募者が12万人にも及んだ。その長さも2000年には2000m達した。初夏には万里の長城祭が行われ、冬にはアイスキャンドルフェスティバルが実施され、数千個というアイスキャンドルの灯が並ぶ。写真はふるさと交流館で、高さ27.5mのタワー型をしており、管内は展示館と郷土資料館で構成され、下川の自然や歴史などを紹介している。

浮島湿原(上川町)
国道273号線の浮島トンネルの上に広がる湿原。標高850mという高所に広がる湿原で面積22haの中に大小合わせて70の沼が点在し、そのいくつかは浮島になっている。湿原の周辺はアカエゾマツを主とする亜寒帯林で、湿原部にはエゾヒツジグサなどの水生植物、モウセンゴケなどの湿性植物、チングルマなどの高山植物で形成される典型的高層湿原の植物相を示している。

銀河の滝(左)・流星の滝(右)(上川町)
夫婦滝とも言われ、銀河の滝が落差120m、流星の滝が90mあります。層雲峡温泉から車で約5分。今はトンネルができてしまったため、国道からは見られません。
  
天人峡(東川町)
忠別川の上流にある柱状節理の岩が続く峡谷。天津岩、涙岩、七福岩などさまざまな形をした断崖絶壁が続く。その奥には、羽衣伝説を残す羽衣の滝がある(左写真)。紅葉の季節には周りの木々が鮮やかな彩りを添える。日本の滝100選にも選ばれており、落差は約270mにも及ぶ。それよりさらに奥へ15分ほど歩くと落差20m、幅50mの東洋のナイアガラとも言われる敷島の滝(右写真)がある。

深山峠(上富良野町)
美瑛と富良野を結ぶ国道237号線沿いにある展望地。晴れた時はラベンダーと丘陵、遠くに十勝連峰を見渡せる。大駐車場が整備され、売店やトイレ、フォトギャラリーが開設されている観光名所。

十勝連峰

ニングルテラス(富良野市)
新富良野プリンスホテルに隣接した森の中のショッピングロード。ニングルとは倉本聰著「ニングル」の作品に登場する昔から北海道の森に棲む身長15cmくらいの「森の知恵者」のこと。アイヌ語で”ニン”は縮む、”グル”は人の意味。ライトに照らされて森の中を歩く、夕方以降が雰囲気がある。

麓郷の森・五郎の丸太小屋(富良野市)
麓郷の森は1984(昭和59)年にオープン。テレビドラマ「北の国から」のロケに使用された丸太小屋を中心に森の写真館や喫茶室が点在する。

五郎の石の家(富良野市)
ドラマ「北の国から」で使用された黒板五郎が住む家。中には入れないが手前50mの所に展望台がある。

拾ってきた家(富良野市)
「北の国から2002遺言」で五郎が雪子の為に捨てられた物や放置された物、使えそうな物を何でも拾ってきて作った家。放送後はこの麓郷の市街で渋滞が起こるほど見学の観光客で賑わったらしい。最近、中の見学ができるようになったとか。

北海道中心標(富良野市)
明治32年から国内122ヶ所で行われた地球の重力と経緯度の調査の際、京都帝国大学理学部教授の新城新蔵博士一行が、富良野小学校の校庭に測定のための機械を置くためにコンクリートの台座を設置しました。いつしかそれが「北海道中心標」と呼ばれるようになり、石碑が建てられ、富良野市は「へそのまち」という名前で呼ばれるようになりましたとさ。

狩勝峠(新得町)
道東と道央・道北を結ぶ峠で国道38号線が通る。標高644m。「狩勝」の名前は「官設鉄道十勝線」の路線選定にあたった田辺朔朗工学博士の命名による。「狩」は石狩、「勝」は十勝より一字ずつとったものだが、これは旧国名による。現在、峠の石狩側は上川支庁管内になっている。
留萌支庁

国稀酒造(増毛町)
日本最北の酒造会社で、初代本間泰蔵が明治15年に創業する。かつて鰊漁で大いに賑わった頃、ヤン衆に飲ませる酒を造り始めたのが始まり。明治35年には丸一本間合名会社を設立し、創業120周年の平成13年10月1日に国稀酒造株式会社に社名変更。水にこだわり、暑寒別山麓から湧き出る良質の天然水を利用している。工場見学、試飲も出来る。

三渓羆事件跡地(苫前町)
1915(大正4)年のこと、体重380kgの巨大ヒグマが、開墾まもない15戸の山村を襲った事件現場を復元した地。1頭のヒグマに10人が殺傷された世界羆害史上最大といわれるこの事件は、吉村昭の小説「羆嵐」で全国に知られるようになり、後に三国廉太郎主演でTVドラマにもなった。今では周囲に民家もなく、静かさの中に不気味な雰囲気を残す。
空知支庁

朱鞠内湖(幌加内町)
16年の歳月を費やして昭和18年に完成した雨竜ダムによって出来た人造湖。人造湖としては日本最大。ブトカマベツ、ウツナイ、シュマリナイの3つの川をせきとめ、大小13の浮島が点在する。面積23.7km2、周囲97kmあり、幾つもの入江が存在し、変化に富んだ景観が楽しめる。湖の北東・母子里では昭和53年2月17日にマイナス41.2度の日本最低気温を記録する。湖畔にキャンプ場があり、カヌーに最適。

明日萌駅(沼田町)
JR北海道留萌線恵比島駅で、平成11年に放映されたNHKテレビ小説「すずらん」のロケ地。ドラマの中では明日萌駅として登場。ドラマの撮影のために昭和初期の駅舎を再現し、現在もそのまま駅舎として利用。その為、駅舎には「明日萌駅」の表示が残されている。また、駅前にもロケに使用された木造の家が数軒残っており、シーズンにはドラマの資料を展示。また、売店も併設される。

夜高あんどんまつり(沼田町)
350年ほど前の1653(承応2)年、越中・砺波の里で福野村の鎮守の氏神として、伊勢神宮より御分霊を勧請した遷宮の行列一行はは、加賀と越中の国境である倶利加羅峠にさしかかったところで日暮れを迎えてしまい、先に進めなくなってしまった。この知らせを飛脚で知った村民達は、手に手に燈火用のあんどんを持って峠へとはせ参じ、村を挙げて奉迎した。これを起源として祭りが生まれ、地元で代々受け継がれてきた。そして、昭和52年に沼田町の開拓者沼田喜三郎翁のふるさと(現在の富山県小矢部市)の津沢の有志により、沼田町の開基80年(昭和49年)を喜縁として伝承された。高さ7m、長さ11m、幅3m、重さ5tものあんどんをパレードしたのち、盛大にぶつけ合う、勇壮な祭り。それとは別に、個人的には北鎮太鼓がお気に入り。

ローズガーデンちっぷべつ(秩父別町)
面積5.4haの敷地に3000本のバラが咲き誇る。展望台からは町を一望でき、展望台から流れる滝とその下の修景池が庭園にアクセントを付ける。売店や食堂もある。

上砂川町無重力科学館(上砂川町)
日本で唯一の無重力の専門科学館。昭和62年に閉山した上砂川の炭鉱の縦坑を利用し、無重力実験センターを建設。一般の方にも広く無重力を知ってもらうために、この科学館が開設された。展示室では自然界のいろいろな力や重力と運動の科学などについて説明。残念ながら、無重力実験装置は老朽化のため、実験を中止。ビデオのみ放映している。また、縦坑を利用して無重力実験を行ってきた無重力実験センターは、大半を占めた国家プロジェクトが終わったことから03年3月に運営会社は解散。縦坑櫓自体は町に無償譲渡されている。

義経号(南幌町)
明治13年9月、アメリカ帆船トベイ号で小樽港に陸揚げされ同年11月28日には第1号蒸気機関車として手宮(小樽)−札幌間を初運行する。また、義経号の後ろに連結された開拓使号は義経号と共に陸揚げされ、客車八両の中の最上等車として開拓使の高級役人や内地から来た高位高官を乗せる特別専用列車として使用された。明治14年8月には明治天皇が北海道に行幸された際のお召し列車として御用達された。南幌温泉の駐車場に保存される。
日高支庁

野生すずらん群生地(平取町)
芽生にある約15haの敷地に可憐な野生のすずらんが咲く。平取町指定天然記念物。遊歩道の両側に花が咲き誇り、その中を歩くと、心が和まされる。すずらんは平取町の町花。開花時期は5月下旬〜6月上旬

襟裳岬(えりも町)
南北に連なる日高山脈が海に落ち込んだところで、沖合にも約7kmほど岩礁が延びる。津軽暖流と千島海流のぶつかり合う所で、気象の変化が激しく、風速10mを越える日が年間300日にも及ぶという。岩礁付近には年間を通じてゼニガタアザラシが生息し、400頭あまりにも及ぶという。

襟裳岬灯台(えりも町)
1889(明治22)年6月初点灯で、高さ13.7m。光度は72万カンデラと道内で2番目に強い。1945(昭和20)年爆撃により破壊されたが、1950(昭和25)年2月再建された。灯台の脇に霧信号所(霧笛)が設置され、無線方位信号所(ビーコン)も設置されている。
石狩支庁

札幌雪祭り(札幌市)
95年の雪祭りで、雪像は道後温泉。2002年には、札幌国際YHの雪像作りツアーに参加し、小さい雪像を作ってきた。見るだけよりも作った方が楽しい。

北大ポプラ並木(札幌市)
ポプラ並木と言えば、松山千春の歌にある「良生ちゃんとポプラ並木」。これで私はこのポプラ並木を知りました。

時計台(札幌市)
1878(明治11)年10月16日札幌農学校として時計台が完成する。以後、現在まで休むことなく、時を刻み続けている。現存する塔時計としては最古のもの。一時、札幌本庁が火災に遭った時、仮庁舎として使用されたこともある。5階建てで、外から見える文字盤が5階にあたる。国指定重要文化財。

豊平館(札幌市)
様式のホテルとして明治13年に建てられた当時では珍しい青のふち取りがされている洋館でした。中には暖炉があり、大理石に似せた漆喰(シックイ)で作られた暖炉で当時の技術の高さがうかがえる。国指定重要文化財。

旧浦河支庁舎(札幌市白石区)
1897(明治30)年、北海道庁が郡区役所を廃止し支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれた。この建物は、1919(大正8)年地元の浦河村及び道庁の費用で建設され、1932(昭和7)年日高支庁と改称される。1956(昭和31)年には浦河町に払い下げられ、町民会館や博物館として利用されていた。

北海道開拓記念館(厚別区)
1971(昭和46)年4月15日に北海道開拓百周年を記念して開設された総合歴史博物館。北海道の自然や歴史について資料が展示されている。

北海道百年記念塔(厚別区)
開拓100年にちなみ、高さは100mあり、8階部分(23.5m)に展望室が設置されている。過去百年間の開発に尽くした先人に対する感謝と北海道の輝く未来を創造する決意、そして躍進北海道の姿を力強く象徴する物として1970(昭和45)年9月完成。塔の形は、平面的には雪の結晶の原形である六角形を、立体的には未来への発展性を相対する二次曲線を表している。

北海道神宮(札幌市中央区)
明治2年9月1日、明治天皇の詔(ミコトノリ)により北海道の開拓の守護神として東京の神祇官に開拓三神(カイタクサンジン)を御鎮斎(チンサイ)になったのが北海道神宮の創祀。つづいて、開拓長官東久世通禧(ヒガシクゼミチトミ)が神祇官より御霊代を戴き、開拓判官島義勇(シマヨシタケ)が御霊代を奉じ、札幌の地に入り明治4年5月に札幌神社と社名が定まり、同年9月にこの円山の地に社殿を造営し、鎮座される。昭和39年10月明治天皇が鎮座され札幌神社より北海道神宮と改称し、北海道の総鎮守として崇敬されている。
  
宮ノ森ジャンプ競技場(札幌市)
言わずと知れた札幌オリンピックのジャンプ競技場だが、夏の間だけ、夜間もジャンプ場の頂上部分にリフトで登れる。ここから見る札幌の夜景は、大通りが正面に見え、一直線に伸びるのが素晴らしい。札幌の夜景ではお気に入りの場所。

札幌ホワイトイルミネーション(札幌市)
1981(昭和56)年から始まった札幌の冬を彩るイベント。街路樹や協賛企業のオブジェに取り付けられた約37万個の電飾が大通公園と駅前通を光り輝かせる。

石狩灯台(石狩市)
1895(明治25)年1月1日初点灯の北海道最古の灯台。当時は木造六角形、高さ13.6mで燃料には石油を使用したが、1911(明治41)年に鉄製円形、外装は黒白横線塗りに改装された。1957(昭和32)年には木下恵介監督の映画「喜びも悲しみも幾年月」の撮影地に選ばれる。この時に、映画の見栄えをよくするために赤白の横線に塗り替えられた。その後、1965(昭和40)年には自動化され、無人灯台となり、現在に至る。周囲にはハマナスの花が自生し、遊歩道が整備されており、公園としてビジターセンターも設置されている。
後志支庁

小樽運河(小樽市)
明治・大正期の石造り倉庫が建ち並ぶ小樽運河は、大正3年に着工し9年後に完成した。夜は数十万個の御影石を敷き詰めた遊歩道沿いにガス灯が灯り、雰囲気を盛り上げる。かつては北海道経済の中心地として栄えた小樽の面影を残す。

神仙沼(共和町)
道道66号線の途中にある休憩所から徒歩約20分。アカエゾマツに囲まれた静かで神秘的な沼。周辺には長沼や湿地帯が点在し、ハイキングが楽しめる。
  
神威岬(積丹町)
その昔、義経を慕う純真な酋長の娘の怨念が、女性を乗せてここを通る船を転覆させたことから、この岬一帯は長く女人禁制でした。今はそういったことはありませんが、遊歩道の途中に女人禁制の門が有ります。断崖の高さは80m、海の透明度は20m以上と言われています。

三階滝(大滝村)
長流川の上流にある滝で、三段に分かれて流れ落ちるところからこの名が付いた。落差15m、幅8m。春はツツジ、夏は新緑、秋は紅葉が滝に彩りをそえる。

ふきだし公園(京極町)
羊蹄山に降る雪や雨が地中に浸透し、長い歳月をかけて噴出した湧水。ほどよい硬度の名水として全国でも知られる。一日に湧出する量約8万t。約30万人分の生活水が確保できる量。周囲は、名水の取水施設が整備され、名水で湛えられた池があり、噴水や東屋などの施設が整った公園になっている。昭和60年には環境庁の名水100選に選ばれている。京極町を代表する観光スポット。とにかく水を汲みに来る人が多い。

大湯沼(蘭越町)
チセヌプリの南麓にある大湯沼は、その昔間歇泉で時間を定めて数mの噴湯があったが、明治末年英国系のハウル社という鉱山会社によって湯沼から硫黄を大量に汲み上げられたことにより、湯沼の構造がくずれ、間歇泉が失われたといわれている。現在は、沼底の噴気口からの噴気ガス(120℃)によって加熱された、約63℃の湯を旅館施設などへ送湯し、温泉として利用されている。温泉量は季節により変動があるが毎分1000リットル噴出し、泉質は酸性硫化水素泉。縦50m、横90m、周囲約220mの湯面には黄色状硫黄が浮遊しており、学術的にも貴重なものとされている。03年7月訪問。
胆振支庁

地球岬灯台(室蘭市)
大正9年4月1日初点灯で高さ15m、水面から灯火までの高さ131m。室蘭港に出入りする船舶の目標として重要な役割を果たしている。また、電波を利用して船舶が自分の位置を知ることが出来る無線方位信号所(中波ビーコン)が併設されており、濃霧や吹雪などの気象時にも沖合を行く船舶の役に立っている。

オコタンペ湖(千歳市)
面積40ha、湖面標高599m、周囲5km、最大深度20.5mの堰止湖。天候によって湖面の色がエメラルドグリーンやコバルトブルーなど違って見える。神秘的な湖。

大湯沼(登別市)
日和山の爆裂火口跡で、周囲約1kmのひょうたんの形の湯の沼になっている。湖面や湖畔からは噴気や熱気が噴出している。最も深いところは約25mで一般に「ふき」と呼ばれるつぼ状の深みから132℃の硫黄泉が激しく噴出し、流れ込む水を40℃から50℃に温め、約20日間滞留した後に流出する。沼の底には、硫黄が堆積し、一部の硫黄は鉄と化合して黒い硫化鉄となって、噴出するガスと共に黒色の中空球状硫黄となって浮いている。昔は、この沼で硫黄を採取していた。写真手前は奥の湯で大湯沼と同じ成分。

報徳寺(登別市)
ここの住職が「宗旨・宗派を問わず開かれたお寺を目指し開寺、たまたま温泉付きの土地だったので、一般の方にも解放している」とのこと。入浴可能な時間は、11:00頃〜14:00頃。必ず前日までに予約の電話をすること!このお寺では、易を用いた人生相談やペットの葬祭供養に忙しく、この時も高校生が親に連れられて来ていた。

ウトナイ湖(苫小牧市)
日本野鳥の会が日本で初めてサンクチュアリに指定したところで、1991年にはラムサール条約の登録湿地に指定される。面積2.4km2、湖面標高5m、最大深度1.5mの海跡湖。春・秋には2万羽を越えるガン・カモ、ハクチョウ類が羽を休める。湖畔にはビジターセンターがあり、湖を一望できる。湖の北側には美々川が流れ込んでいる。
渡島支庁

大沼(七飯町)
駒ヶ岳の爆発によってできた堰止め湖の一つ。他は小沼と蓴菜(ジュンサイ)沼。33の小湾を数える屈曲に飛んだ湖岸線と大小81の中島を持ち、繊細な湖水風景が眺められる。面積5.3km2、周囲26km、最深11.6m、標高129m。何度か訪れているが、なかなか駒ヶ岳が望めない(泣)。

駒ヶ岳(鹿部町)
美しい景観を見せる駒ヶ岳は今も火山活動が活発で、平成12年には数回水蒸気爆発を起こした。安山岩で形成された成層火山は、東方に開いた爆裂火口があり、西側の剣ヶ峰が最高峰(1131m)になる。1640年の噴火で南と東側の一部が崩れ落ち、南側では大沼や小沼などを作り出し、東側では内浦湾に達し、大津波を起こした。しかし、大沼など湖沼群とうまく調和した景観はすばらしい。

函館山(函館市)
津軽海峡に張り出した標高334mの函館山から望む夜景は世界一とも言われている。。周囲9kmの約200万年前に活動を終えた古い火山。牛が寝そべっている姿に似ているので臥牛山(ガギュウサン)とも言われる。この山はロープウェイ横の登山口から約1時間ほどで登れる比較的楽なハイキングコースになっており、そこには約600種の植物や約150種類の野鳥が生息し、渡り鳥の休息地としても知られており、昭和39年には国の特別鳥獣保護区にも指定されている自然豊かな山の一面も見せる。

鹿部間欠泉公園(鹿部町)
茅部郡鹿部町字鹿部18番地の1
TEL:01372-7-5655
平成11年4月オープン。噴出高は最大15m以上。湯温は約100℃。大正13(1924)年4月、温泉の試掘中に偶然発見された。公園内は足湯があり、手軽に温泉を楽しめる。入場料300円。
檜山支庁


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