天ノ岩戸神社
この間五十四年を費やして、ようやく今の伊勢神宮にたどり着く。また丹波には、元伊勢と呼ばれるところが、大江町の皇大神社・豊受大神社、宮津市籠神社、峰山町字鱒留の三ヶ所があるが、その関係は不明。
また、大江町大神社の但書きには、「崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)御杖代(ミツエシロ)となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御され、まず最初に丹波へ御遷幸になり、その由緒により当社が創建されたと伝えられてる。皇大神は四年の後倭へおかえりになり、諸所(二十余ヶ所)を経て五十四年後の垂仁天皇二十六年に伊勢の五十鈴川上に永遠に御鎮座になった。」と記されている。
元伊勢外宮 豊受大神社
真名井ヶ池
皇大神社へ続く階段の途中にあります。池に日が射し込むと、水面に照り返された光が池の後ろの壁に映し出され、神秘的な模様になります。
御門神社
元伊勢の厄神さん(御門神社)は、天ノ岩戸で天照大神をお守りしたトヨイハマドの神で、我が国の厄除神の本宗です。八方除の神。御社殿は、天地根元造り、竹の御柱という古式造りです。節分に厄除け際を行い、三鬼打、カワラケ割り神事などを行います。
元伊勢内宮 皇大神社
岩戸山
冬至の日に、伊勢神宮の内宮と外宮、元伊勢内宮とこの岩戸山が太陽の昇る方向と一致して見事に並ぶらしい。本当だとすると、まさに神秘的な現象といえる。
元 伊 勢
崇神天皇の時、それまで天照大神と倭大国魂の二神は、ずっと天皇の御殿内でお祀りされていたが、その頃に国内に疫病が流行り、国内の情勢が不安定になり始めた。すると、二神が共に御殿内に住むには不安になり、天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫村に祀った(今の奈良県櫻井市・檜原神社)。また、倭大国魂神は、淳名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に預けて祀られた(現在の奈良県天理市・大和神社)。ところが淳名城入姫命は、髪が落ち体が痩せてお祀りすることができなかった。
笠縫村に祀られた天照大神は、その後各地に遷宮します。まず初めに遷宮したのが、丹波国吉佐宮(京都市大江町)。この遷宮地は、『倭姫命世紀』によると次のように記されている。
1. 笠縫神籬(大和国磯城郡三輪町)
2. 吉佐宮(丹後国加佐郡河守上村=丹波は
和銅6年に丹波、丹後の2国に分割され、
吉佐宮は丹後国の地籍となった)
3. 厳柏本宮(大和国磯城郡三輪町)
4. 奈良浜宮(紀伊国名草郡紀三井寺)
5. 名方浜宮(備前国御津郡浜野村)
6. 御室嶺上宮(大和国磯城郡三輪町)
7. 阿貴宮(大和国宇陀郡秋山)
8. 篠幡宮(大和国宇陀郡棒原町)
9. 市守宮(伊賀国名張郡下比奈知村)
10. 穴穂宮(伊賀国名張郡上神戸村)
11. 都美恵宮(伊賀国阿拝郡上柘植村)
12. 日雲宮(近江国甲賀郡多羅尾村)
13. 坂田宮(近江国坂田郡法性寺村)
14. 伊久良河宮(美濃国大野郡井倉村)
15. 中島宮(尾張国中島郡神戸村)
16. 野代宮(伊勢国桑名郡野代村)
17. 小山宮(伊勢国鈴鹿郡野村)
18. 方樋宮(伊勢国一志郡大河坂村)
19. 飯野高宮(伊勢国飯野郡神山村)
20. 佐々牟江宮(伊勢国多気郡大淀村)
21. 磯宮(伊勢国豊浜村大字磯)
22. 滝原宮(伊勢国度会郡滝原村)
23. 田上宮(伊勢国度会郡東外城田村)
25. 五十鈴宮(宇治山田)
この元伊勢の伝説は、諸説があり、日本書紀や古事記にも記されているのですが、内容に違う点があり、不明確な点が多く残されています。